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先見日記

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2003 Oct 3
斎藤かぐみ
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アフリカな週
秋祭りの笛が聞こえる自宅にて

 今週の東京界隈はたぶん、ふだんよりもアフリカ系の人口比率が少しばかり多かった。統計上の人口ってことじゃなくて、行き来してる人ってほどの意味ですが。なんでかっていうとTICADがあったから。日本政府がイニシアティブをとり、地元マスコミでも報じられた国際アフリカ開発会議、Tは東京のTだ。当のアフリカだけでも元首級を含めた50カ国の代表が来ていたという大がかりなもの。この同じ時期、「上だけの開発外交」でなしに現場の声を反映させたいと、若干名ながらNGOの人も来日していた。

 2日半にわたる公式の会議日程の中で、NGOの持ち枠「市民社会との対話」は終わり近くの90分のみ。それをどううまく使うかってことで事前の週末に行われた打ち合わせを生で聞く機会があった。ほんとはフランス語話者のためのアシスタントが入り用と聞いてうかがったんだけど、行ってみたらやることなかったんで、自分の中で言葉だけが先に立ってしまっている「国際市民社会」の前線をかいま見てきたという次第。

 熱のこもった議論をかたわらで聞いていていちばん感じたのは、、NGOとして公式のお膳立てにどう切り込んでいけばいいのかという強烈な問題意識だった。5年ごと3回目になるTICADに、中身があるんだかないんだかわからない総花的なイベントを超えて、アフリカの町や村に生きる人々の生活にほんとうにポジティブな成果を上げてもらうにはどうしたらいいのか。

 たとえば出席者の一人が「ガバナンス」のことを提言すべきだとさかんに強調していた。貸した金をしっかり管理させるために世銀が求める「統治」と言葉は同じだけれど、彼の言うのは政府にごまかしなく働いてもらうために国民が求める枠組みとしての「統治」という意味だ。現実の手応えを重視するNGOと、システムの安定を重視する政治機構との「対話」の難しさは、これひとつとっても想像にあまりある。(ついでにいえば、NGOの活動が一般市民をどれほど代表しているのかという問いかけは可能だけど、選挙という制度からこぼれ落ちてしまう政治的問題の回路になっていることは否定できないだろう)

 TICADの開幕にあたり、日本国首相は「人間中心の開発」をアフリカ支援方針のひとつにあげた。「開発」ってなんだか物質主義くささがただよう言葉だが、公的なレベルでめざされていることの中身という点では、同じ英語に対応する「発展」より正確だともいえる。でも対象として漠然と想定された生身の人々が実際に望んでいるのはそれなんだろうか。食糧安全保障を唱えるNGOのリーダーの人が見せてくれたプリント写真集は、自分たちの手で建てた学校で、自分たちの畑で育てたキャッサバで給食を作り、といった活動をするお母さんメンバーたちが、鍬を片手にみんなで道の真ん中に並んでいる集合写真が扉になっていた。彼女たちの実にかっこいい顔つきは、人間中心ってスローガンが追いついてくるのを待ちかまえているように見えた。

End


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