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2005 May 20
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サッカーを書く理由
自宅にて

 『BRIO』(光文社)6月号「旬の読書<新書の棚から>」欄は、重松清、山崎浩一両氏による対談構成。選んだ数冊の新書を肴に縦横に語る好企画だ。ふむふむと納得しつつ読んでいたら、ギョギョッ! こんな箇所と出くわした。

重松 (前略) ところで、'80年代の俺たちを引っ張ってくれた兄貴たち、山崎さんにしても佐山一郎さんにしても、みんなサッカーについて書くのはなぜなんでしょう。
山崎 僕はメキシコ・オリンピックのときにサッカー少年だった世代だけど、一昔前のサッカーは、要するにロックと同じような脱日本的な文化だったんですよ。サブカルチャーだったわけ。あと、あの世代でサッカーを語る人って、わりと反帝国主義的でね。だから南米系なんだよ。

 対談は、その後、「若手文化人抑圧のために敢えて野球を書く蓮實重彦」という風に思わぬ方向へ。
 いや〜、参ったなあ。去年の『文學界』(文藝春秋)6月号で、ぼくはその蓮實さんの『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』(青土社)をあからさまに批判したんだけど、そこではむしろ敢えてサッカーを書く蓮實重彦氏のみっともなさについて触れたつもりなんです。
 でもそれより何より「兄貴、サッカーについて書くのはなぜなんでしょう」と聞かれた際に、1歳年下の山崎氏のように明快に答えられそうにないことに愕然としてしまった。
 反帝国主義的というあたりではうなずけるものの、南米系というのはちょっと違うなあ。エマニュエル・トッドの「アメリカ帝国論」のように道徳的告発より分析研究によるアメリカの崩壊予告のほうが好きだし、戦前の山の手や古き良き郊外の記憶を残す自由ヶ丘界隈がルーツ故に、ぼくはその雰囲気に近いロンドンの古豪チェルシーFCの隠れファン。重症のフランコフィル(フランス狂)の時代もあったし、韓流にも依然としてはまったまま。「南米系」になれたのはトヨタカップの90分間ぐらいで、それも収奪された大地に対する浅薄な同情レベルにしか過ぎませんでした。
 いや、でも弱ったな、サッカーを書く理由についてこの際、一冊書くしかないのかもしれません。「反俗の証し」とツッパっていたこともあるし、出無精の男が7つの海を股にかけてみたかったとも言えるし……。
 最近思い描くイメージは日本の場合、野球=陸軍、サッカー(フットボール)=海軍という若い人たちには一定の説明が要る図式。いずれにしても、今、サッカーのみならずスポーツをうまく書けない人には真の筆力がないという風にさえ思うことがあります。それもさることながら、価値観散乱時代における「最後の共通項」としてのサッカーの可能性に賭け、深追いして来た面も多々あります。
 さて、今月22日日曜日、日本代表チームは新潟でキリンカップの初戦です。“ペルー2軍代表”を相手に。ずばり、3-0と予想してみましたが、はてどうなりますことやら。

End

















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