石津さんのこと
自宅にて
先生、どの新聞の訃報がいちばんお気に召されました?
「ウ〜ン、写真はやっぱり『朝日』の電子版だな。他はどこも似たりよったり。もっとも朝日のそれはかなり若い時のものだけど」
「VAN」「アイビールック」「みゆき族」「TPO」「倒産」「ライフスタイル」といったキーワードに、何冊かのご著書が紹介されました。いちばんの自信作『大人のお洒落』(朝日新聞社・98年)が無視されたのがちょっと残念。
「だけど、『故人の遺志で献体し、葬儀は行わない』というあたりはしっかり出ていたようだからね。不足はないですよ」
スポーツに関しては、「明大在学中から自動車部、ゴルフ部、航空部をつくるなど多趣味で…」と出ていました。あとはボクシング、ハイアライ、アメフト、水上スキーがお好きでしたね。
「ハイアライは戦前の天津租界で知ったんだよ」
ええ、ええ。僕も一緒に先生と90年の初夏に天津を訪ねることが出来て、あれはもう一生の思い出というか財産というか…。訃報に接した際にも「『死に際』のデザイン」なんてタイトルで7年前の3月に『AERA』の“現代の肖像”に書かせてもらったことがあったので、とくに涙することもなく。あの時もう先生は長生き欲はないとおっしゃっていた。でも、奥様は「内心はどうだか」と半信半疑で(笑)。
「僕は“葬儀不要戒名無用”を言うほうだったから」
それにしても肺炎でしたか。先生のお兄様も肺炎が原因で…。
「兄の良介(写真家)のときは、苦しそうな顔を向けて枕元の文字盤の字を一字ずつ、(あ・ん・し・ん・り・つ・め・い)と指してくれた。あの気遣いほど胸を打つものはなかったよ」
―――――
こんな追悼のかたちは本来なら人の道に外れる。でも口寄せの芸ぐらいならかえって歓迎してくれそうだし、じっさいそういう話の分かる人でもあった。ぼくは、岡山の石津家のお墓や菩提寺にも行ったことがあるし、たしか3年前、90歳の歳まで先生のお財布を預かりながらのたわい無い夜遊びをしていた。 色々な人が色々なことを没後縦横に語っておられたが、ぼくの感じ方は少し違う。石津謙介は、戦後日本の或る年代の人々の「代理父」や「代理祖父」の役割を担った。そのことを忘れてはならないと思う。
|
|
 |
|
|