株式会社 NTTデータ 変える力を、ともに生み出す。
先見日記

先見日記とは 先見リメ[ス

2005 Jun 6
いとうせいこう
backJun 4
しりあがり寿
May 30
up
nextJun 7
飛幡祐規
down
Jun 13

本当に刺激的な虚実
浅草にて

 先週は『死の棘日記』(島尾敏雄著・新潮社)を読み、当然その前に『死の棘』(新潮文庫)を再読したりして過ごしておりましたが、ここ数年“私小説の虚構性を重く見ることのみによる再評価”のことを考えていた私としては、どうしたって刺激的なのでありました。

 そもそもどうしようもなく『死の棘』は面白い。主人公である作家トシオの不倫を責めて妻ミホが神経衰弱を起こし、奇怪な行動をとり続ける。夫は逃げることも思いつかないまま、その行動に振り回され続ける。幼い子供たち二人は理解出来る範囲の中で、その両親のいさかいを見つめ続ける。終わりはない。
 私小説であるこの『死の棘』に虚構の構造を見ず、いわゆる“赤裸々な真実をよくぞ明かした”と誉めるような古い日本文学観では、結局「作家のゴシップ」を尊ぶという非生産的な姿勢しか出てこない。それが私には馬鹿らしくて仕方がないのですね。
 かといって、作家の日常を糧として虚構を編んだとだけ評価するのも足りない。問題は“ノンフィクションを構造的に虚構化するプロセス”、あるいはもっと言えば“真実というものが、書かれることによって奇跡的に虚構へ虚構へと流されてゆく過程”だと思うのです。そのスリルを私は楽しみたい。

 こうした意味では、作家の日記は第一級の資料となり得る。『死の棘日記』はまさにその日記だから、虚構はないように見えるのだけれども、中にこんな記述が出てきます。夫妻とも精神病院に入って過ごす日々、島尾敏雄は短編を書いている。
「三度目の推敲、ミホの指摘で最後の部分の一行を変えて、わざとらしさがとれる」
 異常な症状を示している妻が、自分の出てくる短編を読み、それを直しているという事実。いかに真実を書いているように見えても、書かれた対象が作品それ自体に関与しているのであれば、それはあたかも不確定性原理のように真偽のレベルを決定不能にしてしまう。
 妻ミホがどんなメモを読んでも過剰に反応し、症状を重くしてしまうことは『死の棘』に書かれているから、島尾敏雄が制作途中の短編を見せていることはある種奇妙な行為であり、逆に隠すことが出来なかったことも事実として理解出来る。
 しかし、なんにせよ、“赤裸々な真実”というものが、書かれた対象からの反論を受けつつ作品化されたことは明らかで、そこには私小説のこれまでの伝説的なあり方からズレた何かが存在するのですね。だって、真実は二人の人間によって分裂しているのですから。二重化した真実は決して“赤裸々”ではない。簡単に言えば、どちらかが嘘をついていることになる。またはついていない。決定不能。
 こうなると、病院の中で書かれた日記だって単純な事実の羅列とは考えられなくなってくる。夫が書きつづるものに、疑い深い妻が無関心であるはずがないからです。島尾敏雄は妻ミホの目を意識しながら、日記を書いた。

 フィクションの方がかえってシンプルであるような情報の分裂がここにはあります。虚構を真実らしく書くより、真実を二重化することの方がよほど虚構的とも言えるわけで(そして同時に、本当の意味で“生きている世界を赤裸々に描いた”とも言える)、つまり『死の棘』は事実の世界に一点の隠された穴を開け、そこから事実を虚構世界へと地滑り的に沈めてしまうような奇跡的なテキストだということになる。
 私は単純なフィクションに飽き飽きしているのです。そこには不確定性原理など発生しようがない。真偽のレベルを決定不能にするような世界の操作がない。私は書かれたものすべてが虚構であるというような、貧しいことを言いたいのではありません。少なくとも、私小説を“虚実が分析出来ない地点へと事実を追いやる作為”として評価することが、虚構論として重要だと思うのです。

 数年、日本映画において、意識的な監督が同じ虚実のいりまじりを目指していると思う。『死の棘』と『死の棘日記』は、彼らが目指す場所をはっきり示していると私は思いました。こういうスリル以外、私は本当に刺激的だとは感じない。そうでなければ、スーパーウェルメイドな虚構をエンターテインメントとして作るしかないとも私は考えています。
 そのスーパーウェルメイドな日本映画、『運命じゃない人』について書こうと思っていたら、『死の棘』で手いっぱいになってしまいました。それについてはまた今度。

End

















backJun 4
しりあがり寿
May 30
up
nextJun 7
飛幡祐規
down
Jun 13


各日記の内容については必ずしもNTTデータの見解を表明しているわけではありません。