朗読ということ
浅草にて
90年代にラップというものから遠ざかった時、次に自分がやるとしたら音楽と朗読を混ぜた何かだろうと思っていた。ところが、何年かすると“ポエマー”みたいな連中が出てきて、ろくでもないポエムを朗読し始めたので、出鼻をくじかれた格好になった。ポエマー以外にも朗読をCD化する人がいたが、形式は私が考えるものとは違っていた。
結局、実際に“音楽と朗読を混ぜた何か”を始めたのはずいぶん経ってからで、DJには須永辰緒を迎えた。レコードから即興的に音を出してもらい、そこに短波ラジオの受信音などが乗っかってくる中、数冊の本をこれまた即興的に選んでとっかえひっかえ読んだのである。
読む僕の声はエフェクトで変換されているのが基本で、“聴き取れなくていいから好きに操作してね”と言ってあった。読むほうとしては、流れてくる音楽やエフェクトを出し抜いて観客に言葉を聴き取らせるのが勝負で、つまりそれは音楽と言葉の戦いみたいなものなのだった。
何回かクラブめいたところで同じ形式を続けるうち、DJにダブマスターXが参加してくれたり、高木完と組むことになったりし始め、このところは生バンドと一緒になってその日書いた政治的なメッセージを繰り返し読み、その間に過去に書いた小説の一部を即興で選んで反復することになったりしている。ちなみに以下のサイトで「S」の項目から、SEIKO ITOを見つけると2003年の朗読が聴けます(http://www.cosmosmile.com/)。
朗読という観点から言うと、僕は日本の作家が普通にやっている朗読にかねてから大きな疑問があった。欧米の作家が自作を朗読することのバックボーンには、例えばイギリスの公園で古くから市民が自分の政治的意見をアナウンスし続けてきたような歴史がある。つまり言論の自由を市民がかちとってきた経緯があるのだ。
朗読がよくカフェで行われるのも、そこが重要な市民的サロンであり、言論の場として確保されてきたからである。だから、作家も自らの表現の自由を賭けて自作をカフェで発表する。演説と同様の緊張感をもって読む。
対して、日本にその自由獲得の歴史はないのである。町人だったものが上から自由を与えられただけであって、作家が何を朗読しようがすでにその空間はぬるま湯的なものになっている。だからこそ、“偉い作家が客に聴かせる”というムードが漂ってしまう。
どうもこれに納得がいかなかった僕は、自然に音楽とのセッションに向かわざるを得なかったのだった。言葉が音楽に抑圧されてくれなければ、言葉が自由になる瞬間もない。また、どうせぬるま湯なら客を戦慄させるようなパフォーマンスをするしかない、と考えたのだ。
作家として僕のやり方を面白がり、一緒にセッションを何度も繰り返している奥泉光氏は『群像』(2005年7月号)でこんな風に朗読への疑問を呈している。「小説は多声的なもので、ボイスが複数ある世界なのに、単一の声でそれを抑圧していいのか」
ここでいう単一の声とは、自作を読む作家の声のことである。奥泉氏もまた「“偉い作家が客に聴かせる”というムード」に気持ちの悪さを感じているに違いないのであった。事実、彼は朗読の間にほぼ必ずフルートを吹き出す。これは多声的なノイズの介在を志向しているからでもあり、パフォーマンスで客を楽しませるしかないと考えているからでもあろう。
日本の朗読はもっと根源的に歴史上の差異を認識し、何か新しい道を探す方向へと向かわざるを得ない。作品が偉いとか、書く人が偉い(単一の声を持ってよいとされること自体が、空いばりである)という近代的な古くささを抜け出なければ、朗読することの意味さえないのだと僕は思う。
そんな中、6月16日に渋谷の『青い部屋』で、山口小夜子とA.K.I. PRODUCTIONSの朗読ライブが行われた。これは素晴らしいものだった。小夜子さんは自作朗読をしない。このとき中心のテキストをして選ばれたのは柄谷行人のデカルトに関するエッセイで、それを読む小夜子さんの声はエフェクターで変換され、ライブ後半では生声になった。自らの声の否定と再生。
バックトラックとして路上を走る車のノイズなどを出していたのがA.K.I.。やがて同じテキストをコンピュータに読ませたものが流れ始め、小夜子さんまでもが即興でノイズ音を乗せていくことになるのが中盤で、誰が読み手で誰が演奏者かが脱中心化されていく。
圧巻はラストでA.K.I.が歌い出した『トーク・トゥ・ミー』で、変換された音ではありながら、朗読で流れ続けた言葉の渦から抜け出すように「歌」が聴こえ始め、その歌が言葉を優しく破壊する様子が、僕には衝撃的なのであった。言葉はメロディによって補完されるのと同時に破壊もされるのだ。
彼らの次のライブは7月1日。西麻布スーパーデラックスで行われる。
とうとう朗読に新しい次元が持ち込まれたのではないかと思うと、僕は奇妙なほどの喜びと解放感を感じる。そして嫉妬も。

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