そそる雑誌、『RATIO』
浅草にて
先月だったか、『RATIO』という雑誌が講談社から出た。
新聞の端っこに広告が小さく出ており、その中に『大澤真幸 「靖国問題」と歴史認識』とあったので、大澤さんがこの時事問題について何を書いているのか興味を持ち、銀座の本屋を二軒回ったのだがどちらにも置いていなかった。
結局アマゾンで買い、雑誌はもはや書店で対応しきれないのだなとつくづく思い知らされた。なんであれ大手出版社の刊行する雑誌である。それが棚に置ききれないのだ。
さて、内容の方だが、これがなかなかハードな思想誌なのであった。巻頭にさっき触れた大澤論文の他、小泉義之の「自爆する子供の前で哲学は可能か」と銘打たれた論考がある。大特集として、「アジアのナショナリズム」が取り上げられ、中国、韓国、日本のナショナリズムが分析されるかと思えば、さらに特集ではリチャード・ローティがアメリカを論じ、他にもイタリア現代思想に関して三本の論文がある。そして、最後の特集は「現代哲学はどこへ向かっているか」。
しかし、このある種豪華なラインナップを持つ雑誌がどういう経緯で世に出されたのかについては、どこにも書かれていないのである。普通、巻頭言に編集部からのメッセージが載っているものなのだが、一言もない。せめて巻末にと思ってページを繰ってみても、そこにも何もないのだ。
情報といえば、『別冊「本」』と印刷された表紙の文字くらいである。『本』といえば、つまり講談社が出している書籍のPR誌である。その別冊がなぜか思想誌になった。わけを知りたいのだが、中にはひたすら論文が並んでいるばかりで、潔いにもほどがある。
おまけに、同じ表紙に『RATIO1』とタイトルがあり、その「1」という一点をもってこれが引き続き出る可能性が推測されるのであった。その他にはいっさいの情報がない。とりつくしまもない雑誌である。
そもそも3つある特集のどれにも導入部がない。編集部が「これこれこういう時代ですから特集を組みました」的なことを書くはずが、いきなり論文。笑っちゃうくらい論文。読むほうは文脈を把握出来ずに面食らう。
しかし、非難しているわけではないのだ。むしろそれがこちらには新鮮だったのである。言い訳なし。情報なし。書店になし。謎めいているというか、媚びてないというか、読者の便宜をはからないその“無表情”ぶりが今どき非常に珍しい。
本来、講談社が出す思想誌というだけで十分興味はひくはずなのである。ところが、本誌は自らが思想誌であるかどうかさえ訴えていない。おかげで何がなんだかわからないのだ。もったいないにもほどがある。
とはいえ、次も絶対買う。この異様なストイックさは稀有なのである。ほとんど読者にケンカを売っているような作り。読むところ満載(すいません、全部は読んでませんけど)、粉飾なし。そこに俺は惚れた。
『RATIO』の奇妙なそっけなさに、かえってそそられている俺なのであった。

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