欽督とキャプテン
自宅にて
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に対する評価が急上昇していて、年一回発行の現代用語系事典に影響は出ないものかと強い興味を抱いています。友人が編集長をしていたり執筆歴があったりするのが興味を持つ理由ですが、一ユーザーとしては、もはや無視、後戻りなどとてもできないとその利便性、参加型コンセプトに驚くばかり。英語版プロジェクトの開始が2001年1月。2003年の6月に米国フロリダ州法下の非営利団体ウィキメディア財団として設立されてまだ3年ですから、アメリカ産ならではのダイナミズムを実感させられます。
この多言語統合型百科事典で<萩本欽一>の項を引くと、これがもうかなりの長編。2004年1月26日時点では10行にも満たなかったのにボランティアによる記述で、今では200行を超えています。400字詰め原稿用紙に換算した場合、楽々30枚を超えますからバイオグラフィー(伝記)でも読むかの如き充実ぶり。1「来歴」、2「その他」、3「出演作品」、4「著書」、5「パジャマ党」、6「関連項目」、7「外部リンク」とある現在進行形の貴重な読み物になっています。例の社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ(GG)」の解散騒動についてもうまくまとめてあり、感心しきりなのでした。
「欽督」こと萩本欽一さんの一連のテレビ報道を見て違和感を覚える人たちも、長編化していくウィキペディアの項目を読みふけることで、多少は心和むのかなと考えました。「人に歴史あり」。つまりは欽ちゃんならではの人生密度の高さや功績に敬服すべきものがあるからです。
スポーツ界のもう一人の時の人、<川淵三郎>の項目もこの2年で随分と充実してきました。1「経歴」、2「出演番組」、3の「特記事項」は 「VS渡辺恒雄」「キャプテン」、「『珍プレー集』への対応」の3つ。4「オシム騒動」、5「外部リンク」と続きます。そして最後には<この『川淵三郎』は、サッカー選手に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています>の呼びかけも。
本人サイドが書いてきちゃった場合はどう扱うのかという問題はさておき、「経歴」においては、自著『虹を掴む』(講談社)の年表と微妙に違う箇所があります。その「・1957年、二浪の末、早稲田大学第二商学部(*著書では早稲田大学商学部入学)に進学」については、いささかの悪意が感じられなくもありません。「二浪後」と「二浪の末」とではやはりニュアンスが違いますからね。「キャプテン」のところでは、会長と違う愛称を募集しても、たった50通だったと記されています。「オシム騒動」の欄では、大衆迎合主義に毒された感のあるスポーツ紙とは違う書かれ方がされていて好感が持てます。
そこで、この際とばかりに親交のあった著名人をあれこれ引いてみと、へえ、と感心したり、ん? こんな書き方ではちょっと基礎的資料としては不足かなと思ったり……。
不特定多数のボランティアによる自由な編集が大前提のウィキペディア日本語版。あれよあれよの間に24万アーティクルにも迫る勢いです。亀田三兄弟や中田英寿らの項でいきなり出てくる(最後の手段でもある)「半保護」の3文字と出くわすたびに、アメリカ産ならではの「荒涼たる活力」という言葉が思い浮かびます。継続した荒らしなどを理由に一時的ながらも編集を禁止している半保護項目に、現状、欽督とキャプテンは含まれていないけれど、ウィキペディア以前と以後との違いを認識し直す時期が来ていることは間違いないでしょう。
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