全て、無なり
カフェにて
近所にできたMoMAショップでブルーノ・ムナーリの“フォークランド”を見かけた。というのは前回に書いたことだが、あのストッキング素材でできたランプを買いたくても、あっと言う間に、犬には鼻マークを付けられ、猫には爪を立てられるに決まっているので断念する他はなかったとはいえ、その「念」はきちんと「断」できなくて、今日に至るまで「残」の状態になっている。
ようするに僕が往生際が悪いだけのこと、と書いたら、ふと連想が飛んで、本当に死ぬことになっても、僕はじたばたしてしまうタイプかも知れないと、急に自信が無くなった。常日頃、「長生きしたくない。もう十分生きた」なんて言ってたくせに、と笑われるようなことになったらイヤだなあ……。
ま、それはそれとして、“フォークランド”に話を戻すと、この1週間、誰と話していても、買えなかった残念さがげっぷのように飛び出して、ついムナーリ氏を話題にしてしまっていた。そうしたら、友人のひとりが、どこかの雑誌でブルーノ・ムナーリの特集をやっているのを暮れに見た、と教えてくれた。もちろん、書店へ直行です。
店員さんに聞いたら、1冊残っています、と持ってきてくれた。『芸術新潮』2008年1月号。購入後、直ちにカフェへ移動し、雑誌を開く。
これは良い。ムナーリさんについて僕の知らないことがいっぱい出ている。正確に言えば、知らないことだらけだったのだが、こういう場合の常として、僅かでも知っていることに出会うとなんだか懐かしくて嬉しい。例えば絵本『きりのなかのサーカス』。猫が自動車のボンネットに乗っているように見えるページは僕が大好きなところだったが、この特集ではそのページを見開きで載せてくれている。
しかし、ここにも僕の知らないことが幾つかあった。この本が元は『ミラノの霧のなかで』というタイトルだったということ。そうか、あの景色はミラノだったのか。
それから邦訳版が『きりのなか・・・』と、「きり」も「なか」も、ひらがなだったこと。以前、富山太佳夫さんに言われて彼の編集した講座の月報にウォルター・ペーターのことを書いたとき、ペーターの方法が、ムナーリの、この絵本のトレーシング・ペーパーの重なり方と似ていると暗示するつもりで「霧の中のサーカス」とタイトルを付けたのだったが、いつものそそっかしさで微妙に間違っていたことになる。
この原稿は、河合塾の模擬テストに何回か使ってもらった以外になんの反響も得られなかったが、僕としては、自分が書いた中では一番綺麗な文章だったと思っているので、前もって原題を知っていたら自分の原稿も「ミラノの霧のなかで」にしただろうか……なんて今更ながらのことを考えたりもした。たぶん、してないね。どうしても須賀敦子に引っ張られてしまうから。
そして、もうひとつ知らなかったことがあった。この絵本は日本でもイタリアでも絶版になっていた! あれ、確か、どこかの子供にあげてしまったよ。また買えばいいと思って。うーむ。
しかし、『芸術新潮』によれば、イタリアでは「復刻版」が出ているらしい。さあて、どうやって入手するか。
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