雨は古代をつなぐ
横浜郊外の仕事場にて
昨夜は梅雨時に特有のしとしととした雨が、ほぼ一日中降っていた。霧雨や小雨よりはやや強く、しかし雨粒の大きさを感じさせるほどではないといったような、安定した降り方だ。居間と寝室が桜の並木に面しているために、僕は寝室にある窓をいっぱいに開いて、隣の居間でその音をずっと聞いていた。無数の葉に降り注ぐ、音としてやや増幅された雨が、いつまでも居間に聞こえていた。
濡れていない箇所はもはやどこにもないのではないかと思わせるほどに、激しすぎない雨は間断なく降り続け、その音に包まれているうちに、やがて心の古層がざわついてくるのを感じた。個人として僕が持っている、最も古い記憶に属するものではなく、個人を大きく超えて人類に普遍のものとしてある層が、絶え間ない雨の音によって、ざわざわと開かれてゆくようだった。
雨の音に静かに打ち震えているのは自分ではなく、自分の細胞の中に遺伝的に受け継がれている何かだ。その、元からあったものが音に感応し、それにやや遅れて、現在に生きる自分が遺伝子の目覚めを受け止めるという順番となっていた。こんなとき僕は、個人的に「古代が割れる」というような言い方をする。
それは、普段からそこにある見慣れた時空がふと割れて、そこに古代が出来(しゅったい)するという捉え方でもいいし、いつもは眠っている自分の中の古代が開かれて、太古からそこにあるものを改めて感知する、というような感じ方でもいい。いずれにせよそのときの自分と風景のあいだには「回路」が開かれ、寝室の窓を通して、古代の精霊たちが行ったり来たりしているのを感じる。自分が持って生まれた能力を使ううえで、これは最も贅沢なひとつである。
自分の住む関東ではもうじき梅雨が明け、先日の夏至をさかいに昼間の時間はこれから短くなるばかりだけれど、それまでに残されたつかの間の雨季を、いま少し楽しんでおきたいと思う。

|
|
 |
|
|