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先見日記

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2008 Jul 14
駒沢敏器
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演奏家のいないスタジオ風景
横浜郊外の仕事場にて

「最近の若いやつは、ドラムスの音を生で録ったことがないんですよ」と、ベテランの録音技師は僕に言うのだった。いまではコンピュータでドラムの音を再現するのが常識で、スタジオに楽器を用意してそれを録音する光景は、あまり見られなくなっているのだという。まあもっとも、バンドのやつらだって自分では演奏出来ないんだからおあいこなんですけどねと、彼は苦々しく笑った。僕はその事態がどうにもうまく呑みこめず、他の楽器はどうなっているのかを、彼に訊いた。すると、僕が無知なだけなのかもしれないが、驚愕すべき答えが彼から返ってきた。

「たとえばギターの高音弦がフレットと擦れて、きゅんと鳴る音があるじゃないですか。あれはどうするんですか」
「ああそれはですね、音がもうコンピュータに入っているんです」
「……低音弦を指が擦っていくときの、ごりっとした音もありますよね」
「それもサンプリングしてあって、指使いの再現くらいならいくらでも出来ます」
「ということは、誰も演奏しなくてもいいということですか?」
「あらかじめコンピュータで作曲をして、各楽器の編曲まですべて済ませたものを、後からバンドの連中に聴かせるなんていうこともありますね」

 作曲や編曲用のソフトが、普通のパソコンにも最初からインストールされているような時代だから、部屋にいながらにして楽器を使わずに音楽をつくれることは、僕だって知っていた。辣腕のピアニストがプロ仕様のソフトを使って、コンピュータの画面上でさくさくと作曲・編曲をする光景を、目の当たりにしたことだってある。しかし彼の場合はテスト版として用いているだけで、それをそのままCD化したりするような真似はしない。もっともその彼も、「下手なジャズマンなんかより、こいつの方がずっと上手いんだよね」と言って、笑いながらキーボードを叩いていたのだが。
 デジタルの技術が上がり、生の音やPAに増幅された音をマイクで拾うような必要性は、いまやなくなった。録り直しを重ねればスタジオの使用料金もかさむだけだし、プロの耳にさえ、コンピュータの音と生の楽器の音はほとんど差がない。ロックはおろかクラシックだってジャズだって、何でも再現出来てしまうのだ。

 完全に本末転倒しているこの事態に、ベテランの録音技師は当然ながら苛立っていた。「生演奏じゃないと自然なグルーヴが生まれて来ないし、何よりもメンバーたちのやり取りが見えないでしょう……そういった人間的な部分までは、コンピュータでは作り出せないんですよ」
 音楽の感動は完全無比なところにあるのではなく、演奏家の魂のようなものが身体をくぐり抜けて、楽器を通して現れるところにある。それが聴く側にも届き、身体的な共鳴が起こって、ついに心が揺さぶられるのだ。このような「同期(シンクロナイズ)」を体験することが音楽の最大の醍醐味で(それは小説を読むことにしても同じだ)、このとき演奏家とリスナーは、互いに自らの能力を持ち寄っている。出来栄えだけが完璧な音楽では、そのような奇跡にも近いコミュニケーションは起こりえないだろう。
「正解」だけがまず先にあって、それに皆が後から従ってゆくなんて、音楽さえ「ポリティカル・コレクトネス」になってしまっているのかと、愕然とする思いがした。無数にある正解のひとつに皆でたどりつく一瞬の喜びが、生きていることの証だというのに。

End

















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各日記の内容については必ずしもNTTデータの見解を表明しているわけではありません。